『存在のない子供たち』僕を産んだ罪

存在のない子供たち

原題 : ~ Capharnaüm / Capharnaum / Capernaum ~

『存在のない子供たち』感想

作品情報

監督・キャスト

監督: ナディーン・ラバキー
キャスト: ゼイン・アル・ハッジ、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレ、カウサル・アル・ハッダード

受賞

第71回カンヌ国際映画祭 コンペティション部門審査員賞

日本公開日

公開: 2019年07月20日

レビュー

☆☆☆☆

劇場観賞: 2019年8月14日

 
レバノンのスラムに生を受けた12歳(推定)の少年の物語。

年齢が(推定)なのは出生証明もなく、誕生日すら分からないから。実の親が居ないから、ということではなく、親もそうなのだ。

身分証明書もなく、ロクな仕事にありつけず、自分たちよりもわずかに豊かな層から搾取されて生きている。

臭いが漂うような貧困描写と、そこから抜け出せない子どもたちのリアル 。

あらすじ

わずか12歳で、裁判を起こしたゼイン。訴えた相手は、自分の両親だ。裁判長から、「何の罪で?」と聞かれた ゼインは、まっすぐ前を見つめて「僕を産んだ罪」と答えた。中東の貧民窟に生まれたゼインは、両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない。学校へ通うこともな く、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に働かされている。唯一の支えだった大切な妹……(Filmarksより引用)

レバノンの「誰も知らない」

両親は身分証明すら作れないのに神様は信じている。神様の思し召しだから避妊はしない。自分たちを救ってくれない神様のために。

恐らく子どもへの愛が無いわけではない。けれどもその存在は、金と引き換え軽い。たくさん子どもを作ったら、そのほとんどが労働力になる。教育を施す余裕はない。

そんな家庭がゴロゴロしているスラム。
 

レバノンという国全体が貧しいのかというと、そうでもない。

1970年代の内戦から「中東のパリ」と呼ばれていたほどのリゾート国では無くなってしまったものの現在は回復してきているし、GDPは世界水準だという。

レバノンはどんな国 – 一般社団法人 霞関会

 
劇中でも遊園地やレストランは描かれ、主人公・ゼインが暮らすスラムとは全く違う様相。

つまり彼らはこの国の中の「存在しない家族たち」。

貧困層とシリア難民

そんな中、ゼインは学校に関心がある。教育を受けずとも関心は持ち、テレビやネットが無くとも社会への不満を持ち、世の中が間違っていることを知った。

親は搾取される生活に慣れきってしまっているのに、ゼインは不公平を我慢していてはいけない事に気づいてしまったのだ。

 
妹を売られて、何とかしようと家を出て、当然、自由にはなれなくて。

スラム出身の「存在しない(出生証明を持たない)」自分とは別に、移民だから「存在してはならない(身分証明を偽造しなくてはならない)」人が居ることを知る。

この国には、ただ貧しいだけではなく、本名を名乗れない人たちも混在しているのだった。そして彼らは全て、ちょっと上の層の悪党から搾取されている。

世界共通のこの構図……。

 
そして、ゼインは「自分と同じような子どもを生み出さない術」を見つけることになる。

実話を元に実体験のキャスティング

この映画のキャストは全て(ほとんど)ゼインを始め、この国で難民生活などの実体験をしてきた人たちらしい(難民役の女性は撮影中に逮捕されたとか……)。

つまりゼインの演技は演技ではないということ。

彼自身の出生から来る怒りや不満や悲しみが溢れる言葉の数々。だからリアリティに溢れているんだなぁ。

実在するゼイン少年のその後

その後……については、ネタバレ枠に書いた方がいいかな、と。
 

とにかく、サスペンスでは無いのであまり先行きを想像せず、ただ怒りや悲しみに寄り添うように見て正解。

法から漏れて存在を失くした、と考えたら、日本の中にも、どこの国にでもあり得る話で決して他人事ではない。

こういう映画の上映館がもっと増えればいいのに。

無関心が彼らを作り出すのだから。

 


以下ネタバレ感想

 

たった11歳の娘でも嫁にやってしまう。なのに死んだら死んだで泣いている。そして新たに妊娠したら、それが神が下さった生まれ変わりだと信じている。

馬鹿なのか……と言いたいけれども、そういう思考でしか物を捉えられないので仕方がない。

「ここにいるより幸せになれると思った」

というのは金目当てではあるのだろうけれど、本心でもあると思う。親だって、それくらいは分かっているのだ。

ただ彼らには分らないのである。作ってはいけない事が。避妊してはならないという宗教の何という罪深さ。

ゼインが刑務所に入っている間、牢の中でも礼拝を行うイスラム教の人たちや、ゴスペルを歌うキリスト教の人たちをボーーっと見ているシーンが印象的。

彼らは恐らく全く神様に救われないから今ここに居るのに。それでも祈りから逃れられない。

 
そんな大人たちを頼らず「法」を頼ることを考えつく賢さ。この生活力。

やはり、生きようとする力が強い人たちが正しく生きるのだと知る事が出来る作品だった。

で、ゼイン少年のその後

実在するゼイン少年は移民なので、映画の後、家族と一緒にノルウェーへ移る事が出来たらしい。

劇中のゼイン少年は出生届を手に入れた。

生まれが階層を作るこの国で、身分証明がどの程度役立ってくれるのかは分からないけれども、

「笑って。死んだんじゃない。出生届だ。」

ラストの笑顔に晴れ晴れした。

ゼインが一生懸命守ろうとしたヨナスも、幸せになれるといいな。
 

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