日日是好日
作品情報
監督・キャスト
監督: 大森立嗣
キャスト: 黒木華、樹木希林、多部未華子、鶴見辰吾、郡山冬果、岡本智礼、荒巻全紀、原田麻由、川村紗也、滝沢恵、鶴田真由、山下美月
日本公開日
公開: 2018年10月13日
レビュー
☆☆☆☆
劇場観賞: 2018年12月3日
ラストの方に「すぐ分らないものも、長い時間を掛けて少しずつ気づいていく」という意味のモノローグがあって、ああ、これもそういう映画だろうなぁ……と思った。一瞬一瞬、物や人との出会いがその後の自分を作る。
これを撮影した時にはこの世界に存在した樹木希林さんが、今はもう居ない。大切な時を閉じ込める……それが所作であり伝統であり、時間。
◆あらすじ
たちまち過ぎていく大学生活、二十歳の典子(黒木華)は自分が「本当にやりたいこと」を見つけられずにいた。ある日、タダモノではないと噂の“武田のおばさん”(樹木希林)の正体が「お茶」の先生だったと聞かされる。そこで「お茶」を習ってはどうかと勧める母に気のない返事をしていた典子だが、その話を聞いてすっかり乗り気になったいとこの美智子(多部未華子)に誘われるまま、なんとなく茶道教室へ通い始めることに。(Filmarksより引用)
原作は森下典子の自伝エッセイ『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』。
茶道指導映画ではない
茶道に興味はあるが、文化祭で茶道部のお点前をいただくくらいの縁しかなかった私には、ちょっと敷居の高い作品のように思えていた。
けれども、本当に見て良かった。
これは、「お茶」を学ぶ映画ではなくて、人生を学ぶ映画だった。
ゆったりと。
考えるのではなく、感じる世界を学ぶ映画。
もちろん、お稽古事としての描写も興味深かった。
なぜソレをやるのか。「意味なんて考えない。頭で考えちゃダメ。」
押し付けのセリフではなく、愚痴のように、お喋りのように、その辺の年配の人のように、典子と美智子に語りかける希林さんの武田先生がいた。
なるほど……。と、思ったことがある。
どうりで私は茶道とは無縁のはずだ。
すぐに「なぜその行動をするのか」「その行動には何の意味があるのか」考えてしまうから。そういう人間は茶道に向かない。
考えなくても身体が自然に所作を覚え、その所作をする事そのものが「意味」。
そんなお稽古事は一つもやったことがない。
面白い。
『日日是好日』の読み方と意味
「にちにちこれこうじつ」と読むらしい。
私はずっと「ひびこれこうにち」と読んでいたのだけれど、元は禅語の一つで、「ひびこれこうにち」も不正解ではないのだとか。
「ひびこれよきひ」という読み方もあるらしい。うん。これが一番良い響き。
意味は字の通り「毎日が良い日」。
これを「毎日が良い日になるよう努める」などと解釈する事もあるらしく……つまり、禅語なだけに、禅問答の一つなのだろう。
感じ方はそれぞれ自由。
そして、典子もラストには一つの答えに辿り着く。
つまり。
「お茶」もこの映画も、是禅問答。
水の音を聞く映画
作品の中で、とても大事にされていると思うのが「水の音」で。
それは、お茶を点てる音だったり、湯が沸く音だったり、静かな雨音、激しい雨音、庭の手水、波……そして、「湯の音」「水の音」と続く。
四季と自然と所作と伝統と……
日本を好きになる作品。
黒木華さんと多部ちゃん
黒木さんも多部ちゃんも、「鈴を転がすよう」といつも思っている美しい声で。そんな2人が同じスクリーンに納まって、明るく喋っているシーンは本当に耳に優しい。
自然の音が大切にされた作品だと先ほど書いたけれども、声で選んだのかと思うくらい、キャストもみなさん優しく美しく語る。
日日是大事
「常に今この時が大切なのだ」
という気づきの物語であり、それを「お茶」と共に日常として生きる一人の女性の20年を描いた物語。
ベタな涙を流させるエピソードはなく、大袈裟な失敗談も事件もなく、本当に普通の日常が大切に描かれた贅沢な100分である。
大森立嗣監督は、男性キャラを通して世の荒みと共存していく作品が多いように感じていたけれども、この作品は一味も二味も違う。
それでも、人との出会いと共有する時間を優しく描くという点では他の作品と同じかもしれない。
今作では、そこに「時間」も入った。
「出会い」と「触れ合い」と「時間」。
人生が辛い時には何度でも見直したくなる1本。
これも出会い。
以下ネタバレ感想
「毎年同じことができる幸せ」
を武田先生は有り難いと言った。
年始の挨拶。干支の茶碗は12年に1度しか使わない。
「ということは、人生で3、4回?」
干支が巡って来ることを、そんな風に考えることも無かった。
「毎年同じことができる幸せ」
というセリフを遺して希林さんは亡くなった。
人は、特別な事故や災害や事件がなくても、明日、同じようにここに居るとは限らない。
「同じメンバーで同じお点前をしても、それは全く「同じ」ではないのです。」
1つの時間は「その時」にしかない。
典子のお父さんが「ご飯を一緒に食べよう」というシーンが何度も出てきた。
同じメニューだとしても、その時間はそこにしかない。
時間も、共有する人も、物も、季節も、大切に過ごしてこその「いつも良い日」なのだと。
気づかせてもらえた。
こんな時間を過ごせる映画に出会えた幸せ。
年齢に関わりなく、多くの人が感じ取れるといいな。
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