日輪の遺産
 監督: 佐々部清
 出演: 堺雅人、中村獅童、福士誠治、ユースケ・サンタマリア、森迫永依、土屋太鳳、八千草薫、八名信夫、麻生久美子ミッキー・カーチス、塩谷瞬、遠藤恵里奈、松本花奈、麿赤兒、串田和美、柴俊夫、北見敏之 
 公開: 2011年8月27日
 劇場鑑賞です。感想をおさぼりしていたのを今頃UP。
 (この記事は2011年11月に思い出し書きしています。)
堺雅人さんが出ていなければ、まず観に行かなかったと思う。
戦争映画は数多く見てきたけれども、最近の物は「お涙ちょうだい」にばかり走り、見ていて全く戦時中の悲惨さや時代感を感じられないものばかりだからだ。
そういう意味では、この映画は大変当時の状況をよく物語っていたと思う。
 あんな少女たちが「お国のため」と信じて働いてきた事。
 外国文学を子供たちに読ませたからといって、軍に連れて行かれる教師。
 敵国の文学だと思いながらも、教師の教えには素直に共感する子供たち。
そして、覚悟。
 国全体が洗脳されている状態だから、誰も現代の子供みたいに
 「え~!だるーい。こんな事やって意味あんのー?」
 とか、もちろん言わないし、思いもしない。
 ただ、純粋に自分たちの行いは国のためなのだと信じている。
その純粋さに何度も目頭が熱くなった。
役者さんも、素晴らしい。
 中村獅童は寡黙だけれど優しい曹長がピッタリだったし、福士誠治は人がいい故に狂気に陥る兵士を演じきった。
 (堺さんのファンである故に辛いけれども、私は堺さんにはこの役はあまり合っていない気がしたの )
 少女たちは表情と個性豊か。
 そして、素晴らしかったのがユースケ・サンタマリアである。
 もの静かで優しくて、誰よりも何よりも生徒たちの心を大切に考える教師。
 きっと、この時代にもこんな教師はいたに違いない。
 この教師に巡り会えたこの子たちは幸せだ。
そんな風に思える教師像にピッタリだった。
 ・・・と、ここまでは良い事書いたけど・・・
 ここから下には酷評しか書かないので、感動しきって絶賛している方は読まない方が良いですよ。 
まぁ・・・「ありえないだろう?」という数々のツッコミ所は置いておいて…
長いっっっ
長いとは上演時間のことではなく(いや、上映時間も長いけど)、感動の引っ張りが長い。
これでもかこれでもか、まだこれでもか、と泣かせようとする。
こういう、泣きを引っ張ろう引っ張ろうとする作りが、私はドラマでも映画でも一番嫌いなんだよ。。
最初の内は、感動して泣いている身も、いつかは涙も止まり枯れて、「はぁ、一体いつまで泣かせようとしてんの?」と、妙に冷めてしまうのである。
CGやセット?感の溢れた映像も所々目につき、決して良い感想は書けない感じになっていた・・・
 本当に・・・
 日本人が作る戦争映画って、どうしてこうなんだろう。
 ・・・という、他の最近の戦争映画と同じようなモヤモヤした気持ちが大きかったです。
 だから、「戦争ものは、もういいや」って思っちゃうんだよね。
 伝えて行かなきゃならない、大切なことなのに。
ここから下ネタバレ↓観てない方は観てから読んでね
  こっから先は、ほんとロクな事が書いてないので、感動した方は読まない方がいいですよ。
こっから先は、ほんとロクな事が書いてないので、感動した方は読まない方がいいですよ。 
小川~!!何すんねん~~~!!
・・・と、ドラマ「鈴木先生」 クラスタは、心の中で叫びまくったろう、土屋太鳳ことスーちゃんの決断・・・。
この子は父親も軍人であるし、ずっと具合が悪くて仕事できなかったことで誰よりも自分を責めていたんだね、きっと。
そして、何と活躍の場は、戦争が終わったその時にやってきた。
 「ここで、お国のために活躍しなきゃ!」
 と、彼女は思ったに違いない。
寄り添いあい手をつないでマッカーサーの財宝を囲む少女たち。
映像では一切映されなかった少女たちの自決シーンが目に見えるようで、私は感動よりも恐かった。
だって、少女たちの中には、すでに家に帰ってお母さんの作った料理を食べたいと、家族に会いたいと思っていた子も山ほどいたはずなんだもの。
なのに、スーちゃんの、恐らくは強制命令のような形で儀式は遂行されたんだと私は思う。
他の戦争映画で時々目にする「天皇陛下万歳!」と叫びながら無理やり手りゅう弾を抱えて自決させられた兵士のように、きっと無理やり毒を飲まされた子も何人もいたに違いない。
あのシーンの前の繋がりから考えても…全員が納得してやったとは、とても考えられない。
ああ、戦争ってコワイ。洗脳ってコワイ。
こんな事が美しい物語みたいに語られていいんだろうか・・・
そこが、私の一番の納得いかない部分。
 後は、上にも書いたけれども、「泣き」の引っ張りね・・・ 
 まぁ・・・でも・・・世の中の多くの人が実際に引っ張られるから、こんな演出が認められるんだろう。
 現代シーンは、果たしてあんなに必要だったのか?
 私は、あの戦後、真柴少佐が曹長と久枝を訪ねてくるシーンで終われば、充分余韻の残る良い映画になったと思うよ。
あのお参りしに行くシーンなんて・・・もう、本当に嫌だ。
大河ドラマの感想でも時々書くけれども、私は死んだ人が蘇ってきて主人公に語りかける、いわゆる「ゾンビ演出」が大嫌いなのだ。
ああいう手法を使わなくても、亡くなった人を回想でき、感動できる演出で見せている作品はたくさんある。
どうしても死んだ人たちが蘇るシーンを作りたいんなら、いっそ、韓国映画のように思い切りファンタジックにやればいい。
あら、簡単に書くつもりだったのに、ものすごい量の文章になってしまった。
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