『杉原千畝 スギハラチウネ』人のお世話にならぬよう、そして報いを求めぬよう

杉原千畝 スギハラチウネ 

監督: チェリン・グラック
キャスト: 唐沢寿明、小雪、ボリス・シッツ、アグニェシュカ・グロホフスカ、ミハウ・ジュラフスキ、ツェザリ・ウカシェヴィチ、塚本高史、濱田岳、二階堂智、板尾創路、滝藤賢一、石橋凌、アンナ・グリチェヴィチ、ズビグニエフ・ザマホフスキ、アンジェイ・ブルーメンフェルド、ヴェナンティ・ノスル、マチェイ・ザコシチェルニ、小日向文世
公開: 2015年12月5日 : 2015年11月29日(試写会)

 

ネット上で感想を検索すると「ウヨの日本上げ映画だろ」みたいに書かれてる率が高いけれども…それほど日本上げ上げに描かれているわけではないので、そこは過敏に反応しなくていいと思うの…。

日本人もそれなりに酷いように描かれている。一応。一応ね。。

 

日本人で唯一の「諸国民の中の正義の人」を描いた伝記的映画。そのビザで救った命は6000人を超える…。

◆あらすじ
1935年、満洲国外交部勤務の杉原千畝(唐沢寿明)は高い語学力と情報網を武器に、ソ連との北満鉄道譲渡交渉を成立させた。ところがその後彼を警戒するソ連から入国を拒否され、念願の在モスクワ日本大使館への赴任を断念することになった杉原は、リトアニア・カウナスの日本領事館への勤務を命じられる。同地で情報を収集し激動のヨーロッパ情勢を日本に発信し続けていた中、第2次世界大戦が勃発し……。(シネマトゥデイより引用)

 

「諸国民の中の正義の人」とはイスラエルから表彰される「ユダヤ人を救った人」の事で世界に2万人以上を数える。『シンドラーのリスト』のオスカー・シンドラーや、『ソハの地下水道』のレオポルド・ソハもその中の1人であり、多くのポーランド人やドイツ人が表彰されているが、日本人は杉原千畝ただ1人である。

 

日本はヨーロッパから遠く離れた島国でありユダヤ人が住んでいたわけではないので、救う事も無ければ虐待することもなかった。考えなくても当然の事。

 

千畝が難民と関わることになったのは外交官だったからだ。

1940年、リトアニア。ナチスドイツがポーランドに絶滅収容所、アウシュヴィッツ=ビルケナウを建築した年。

 

リトアニアは当時、ソビエト侵攻下にあった。ナチスドイツに侵攻されてリトアニアに流れてきたポーランド系ユダヤ難民をカウナス日本領事館に着任していたい千畝が救う事になったのである。

戦時下の外交官なのだから当然、諜報活動なども行っていたわけで、この時は独ソの動きを本国に報告することが任務であったらしい。

数多くの情報を得る、その副産物として命のビザ発行へと繋がったわけだが、映画の内容としては、徐々に間違った方向へ進む日本への不満が行き場のない人たちを救う正義感にも繋がる切っ掛けとして描かれていた。

 

描き方については色々と引っかかる(笑)し、ストーリーは伝記の域を出ていない。

冒頭の方は諜報活動の描写がハードボイルドで何だか違う話のように見えるし、全体的に生活がとても豊かなので、順風満帆な人生を歩んだ人が弱き者を救ったように見えてしまう部分はある。

実際は日本カッケーとか、日本の誇り~~とかではなくて、まさに日本のせいで冷遇されて大変な人生を送った人なのだけど。。

戦争という黒歴史の中で、自国によって存在を消された絶望感ややるせなさは、『イミテーション・ゲーム』『黄金のアデーレ』のように切なく感じる事は出来なかった。

この辺やっぱりね…日本人は日本をとことん落として描くことはしたくないんだね。(監督は日本で生まれた外国の方というビミョーな位置。)

 

しかし「正義の人」は唐沢さんにピッタリな役であることには間違いなく、力作である事は確か。

唐沢さんは10年以上前に主役のドラマ『白い巨塔』のロケでアウシュビッツの地を踏んでいる。きっと、この作品は彼にとっても感慨深いものだと思うのだ。

 

日本のせいでその偉業が伝えられていなかった正義の人。これを機会にこの人の存在を多くの日本人が知ってくれるといいと思う。

 

ここから下ネタバレ観てない方は観てから読んでね

ブログランキング・にほんブログ村へ

 

ハルビン学院自治三訣「人のお世話にならぬよう人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」は心に残る。

 

報いを求めぬ正義感は多くの人々を救い、そして彼はイスラエルによって表彰された。

 

しかし、日本が公式に彼の名誉回復を行ったのは2000年である。「報いを求めない」からといっても、これはひどい話。

 

『イミテーション・ゲーム』のアラン・チューリングにイギリス政府が公式に謝罪したのは2009年。フランス政府が『黄色い星の子供たち』などで描かれたヴェル・ディヴ事件を正式に認めたのは2012年…。こんな近年になってもまだ各国からボロボロ出てくる戦争の爪痕。

 

現代に生きる私たちはこの事実を真摯に受け止めなくてはならないと思う。反省が無ければ繰り返すだけだからだ。

 

戦後、杉原夫人が「初めて家族でレジャーに来られた気がする」という。

戦争が終わるまでは、ピクニック1つも全て諜報活動の一環だったから。

領事館で共に仕事し、夫人のサンドイッチを共に摘む仲間がゲシュタポとポーランドの諜報員だという緊張感の中でこの人も暮らしていたんだなぁ。(すごくノンキそうに見えたけど。)

そういう史実の部分を伝記的に知るには少し長かったかな…。伝記としてはもっと深く知りたい人物だけれども、作品としては少し残念。

 

 


杉原千畝 スギハラチウネ@映画生活トラックバック
・象のロケット

★前田有一の超映画批評★

※ Seesaaのトラックバック機能終了に伴い、トラックバックの受け付けは終了させていただきました。(今後のTBについて)

comment

  1. nakakuko より:

    BROOKさん
    >その後もスパイ活動の連続でしたね。
    戦時中なので、どこの国も外交官は半ばスパイも兼ねていたようなものらしいです。
    けれども、あんなドンパチやっていたとまでは思いませんでした^^;
    体力勝負な大仕事ですね^^;

  2. BROOK より:

    ちょっと記憶が曖昧になってきているので、軽く…。
    冒頭から千畝のスパイ活動が描かれ、
    本当にこんなことをしていたのかなぁ…と思ってしまいました。
    その後もスパイ活動の連続でしたね。
    そして肝心のビザ発給をメインに描いていない辺りは少し驚きましたよ。
    ビザ発給だけでユダヤ人が救えたのではなく、その後も他の人物たちが関わって多くの人が救えたというのは勉強になりました。

タイトルとURLをコピーしました