『セイジ 陸の魚』「神様」の意味

セイジ 陸の魚

~ FISH on LAND ~

作品情報

監督・キャスト

監督: 伊勢谷友介
出演: 西島秀俊、森山未來、裕木奈江、新井浩文、渋川清彦、滝藤賢一、二階堂智、津川雅彦、奥貫薫、宮川一朗太、庵原涼香、板東晴

日本公開日

公開: 2012年2月18日

レビュー

☆☆☆
 

2013年1月3日。DVD観賞。
 

物すごく解釈の難しい作品だったと思う…。

原作は辻内智貴氏によるヒット小説。未読です。
 

作品に流れる空気感は好きだ。
最初は…というか、ほとんど中盤以降までほとんどの部分で少しずつ不安は募りつつも、何かしら傷を抱えた人たちが立ち直ろうともがきながら生きていく様を描く人間ドラマなのだと思っていた。
 

人よりも人の傷が「見えすぎてしまう」繊細なセイジ。
鈍感さは絶望を緩和してくれる鎮痛剤。

セイジは鈍感になることが出来ない。
だから、他人の傷を自分の事のように感じ、他人の痛みを減らす事で自分の傷を増やしている。

それは、決して人に押し付けるお節介ではなく、ただ穏やかに見つめているのだ。

大学3年で適当に就職先を決めて自転車で旅をしている「僕」…通称「旅人」は、事故が切っ掛けでセイジとその周りの仲間たちに出会い、ドライブイン「HOUSE475」に住み込み溶け込んでいく。

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しかし、一緒に暮らしていてもセイジの心には垣根があり、中を覗くことはできないのだ。

 

セイジが通っている盲目の老人・ゲン爺の家には小さな孫のりつ子が居て、りつ子と遊んでいる時だけ優しげな笑顔を見せるセイジ。

祖父の手を引いて庭先の小さな祠にお参りに行くのがりつ子の日課。
可愛くて優しい少女である。

まさか、こんな事になろうとは……。
 

えっっ!こういう話だったの!?
というのが終盤の展開。

そう考えると、ちょっと複雑な気持になる作品だ。
 

だって…ラストシーンが無かったら誤解を生むと思うんだよ…。
もっとも、あのラスト無くして有りえない話ではあるんだけど。
 

終始感情など無いように硬い表情で、しかし、りつ子と遊ぶ時だけ柔らかく、そして、あのシーンで全てを解放する…西島秀俊さんの演技が凄い。
そして、ぶつける所がなくやり切れない苦しみ、悲しみを演じる津川雅彦さんが凄い。

そこだけでも見る価値がある。
 

人の心を本当に救いたいと思ったら、それだけの覚悟が必要だという事。
私には出来ない。たぶん、「陸の人間」には誰にも出来ない。
 


以下ネタバレ感想

 

セイジは「陸の魚」なの。
この世で生きることをあきらめてしまった生き物。

 

時々差し挟まれるセイジ(と思われる)の動物処理映像。
何度もセイジの元にやって来る動物愛護団体の職員。
並行して報道される連続殺人事件のニュース。

 

人が多すぎるんだ。

セリフ。

 

20年後のりつ子のセリフが無かったら、私はセイジが犯人だと思ってしまっていた。

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お祖父ちゃんは、あれからすっかり「神様が嫌いに」なってしまったのだとりつ子はいう。

しかし、りつ子は神様の存在を信じている。

自分を救ってくれたのは、あの時、斧を持って自分の腕を切り落としたセイジだったから。
目の前で、生きる神様を見た。

奇跡を起こせるのは、大きな犠牲と愛を見せられた瞬間。

 

「幸福な王子」というオスカー・ワイルドの児童向け小説があって、自分の美しい持ち物を困っている悲しい人たちに与える事で自分自身も救われる像の話。

宝石の目をくり抜かれボロボロになってみすぼらしくなっても、王子は人々が悲しんでいたら自分も幸せにはなれない。
人の痛みが見えすぎるのだ。
セイジと同じ。

 

りつ子の前で腕を切り落としたからと言って、りつ子が正気に戻るとは限らない。
しかし、セイジはやらずにはいられなかった。

 

だから、
りつ子が幸せになった今、セイジもきっと幸せに暮らしている…。

たぶん、「旅人」もそう感じただろうラストシーン。

あのシーンがなければ、この作品を見ている者も救われない。

 


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・象のロケット

★前田有一の超映画批評★

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