『アメリカン・スナイパー』体制庇護か反戦か

アメリカン・スナイパー~ AMERICAN SNIPER ~

 『アメリカン・スナイパー』感想 

 
監督: クリント・イーストウッド   
キャスト: ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、ルーク・グライムス、ジェイク・マクドーマン、ケヴィン・ラーチ、コリー・ハードリクト、ナヴィド・ネガーバン、キーア・オドネル

公開: 2015年2月21日

2015年2月21日。劇場観賞

アメリカの元軍人であり、イラク戦争において160人を狙撃したという「英雄」クリス・カイルを描いた物語。

扱っている題材が題材なだけに、第87回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞など6部門にノミネートされながら要らぬ論争も引き起こしているらしい。

プロパガンダではなく、観て、見た者が考える。そのための無音。

あらすじ
クリス・カイルは父親から「弱い羊を守るシープドッグになれ」と教育されて育つ。1998年。アメリカ大使館爆破事件を経て、カイルは愛国心から軍人に志願し、特殊部隊ネイビー・シールズに配属される。狙撃の才能を見込まれて活躍することになるが、心は徐々に戦争に蝕まれていった。

物語はクリス・カイルの自伝『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』を元に描かれているらしい。当方はこの人に関してよく存じ上げないし自伝も未読なので、映画の話のみをしよう。

冒頭から予告で見たあのシーン。
そこからもうずっと緊張感の連続である。

「愛国心」という希望に満ちてネイビー・シールズのきつい訓練に耐え抜く。狙撃の腕を見込まれて「レジェンド」と呼ばれるようになる。しかし、愛妻は彼が国のために現地へ飛ぶのを良しとしない。彼女には愛する家があり、その安全と平和の中で生きていたいからだ。

4度に渡る派遣シーンと、アメリカでの平和な生活シーン。

彼が「英雄」であることは正しいことなのか。 彼自身はずっと「英雄」でありたいと願っていたのか。
敵は悪魔なのか。
この戦争は正義なのか。

そんな事はどこにも描かれていない。
激しい戦闘シーンにハラハラさせられカイルの変化に眉をしかめながらも、だからカイルが正しくて英雄だとは映画は全く語っていない。

何の感情も見せずに淡々と問題を提示する。で、どう思ったと、問いかけられる。押し付けはない。
いつものイーストウッド作品と同じ。

カイルを見ていて『ハート・ロッカー』を思い出したよ。

どうして男は行ってしまうのだろう。そこにあるのは、たぶん楽しさでも喜びでもないのに。

緊張感とやるせなさで何度も目が潤んだ。

少なくとも私には「正義」にも「正当化」にも見えなかったけれど。
モデルの人は自伝で「何のためらいもなかった」「シールズは楽しくて自分がやった事は正しい」ように書いているらしいが、少なくとも映画の中のカイルはそうは見えなかったけれど。

ハッキリ解った事はただ一つ。戦争は精神を蝕む。

 


以下ネタバレ感想

 

1回目の派遣でカイルは「英雄」になる。
その時はまだ彼も軽い。狙撃しながら妻のタヤと電話で喋ったりしている。

2回目の派遣では賞金が賭けられている。それでも目印のタトゥは隠さない。
「子ども」や「家族」に敏感になってくる。自分自身に息子ができたから。
子どもの頭にドリルで穴をあけようとする脅しを見てから帰国してもドリルの音が離れない。

3回目の派遣では仲間を失う恐さを知る。
射撃オリンピック元選手のムスタファを仕留める事が出来ず、帰国してからも仲間を守れなかった意識から極端な行動に出るようになる。

4回目の派遣でようやくムスタファとの対決に勝つ。4回目はもう、このために行ったように見えた。
自分自身の命も危うくなり、泣きながらタヤに電話する。
「もう帰る!」
砂嵐で何も見えない風景の中、ムスタファが転がっている映像が恐ろしく印象的。

カイルには解っている。「動く的」は命であるということ。イラクの子どもの命も自分の子どもの命も同じであるということ。

「愛国心」は彼が自分自身にしている言いわけに見えた。戦争に行ってしまう自分を止めることが出来ないから。

国のために戦争に行ったカイルが戦争に心を蝕まれた男に撃たれて死亡する…この皮肉。

国家の英雄として棺に入れられ、アメリカの旗の元に送られる。

無音のエンドロール。

悲壮感溢れる音楽も、英雄を讃える音楽もない。

考えろ、という事だよ。

この死の意味を。


アメリカン・スナイパー@映画生活トラックバック
・象のロケット

★前田有一の超映画批評★

※ Seesaaのトラックバック機能終了に伴い、トラックバックの受け付けは終了させていただきました。(今後のTBについて)

 

comment

タイトルとURLをコピーしました