『顔のないヒトラーたち』8000人の容疑者・アウシュビッツ裁判

顔のないヒトラーたち

~ Im Labyrinth des Schweigens ~ 

  

監督: ジューリオ・リッチャレッリ
キャスト: アレクサンダー・フェーリング、フレーデリケ・ベヒト、アンドレ・シマンスキ、ヨハン・フォン・ビュロー、ヨハネス・クリシュゲルト・フォス

公開: 2015年10月3日  観賞: 2016年5月8日 DVD観賞

世界を震撼させた歴史的大事が発覚する話をベースにしながら、ストーリー自体は1人の功名と正義に逸る青年の成長記だったりする。

上手く絡むもんだなぁ…と感心しつつも思いがけず勉強になる作品。

◆あらすじ
1958年の西ドイツ・フランクフルト。第2次世界大戦の終結から10年以上が経過し、復興後の西ドイツではナチスドイツの行いについての認識が薄れていた。そんな中、アウシュビッツ強制収容所にいたナチスの親衛隊員が、規約に違反して教師をしていることがわかる。検察官のヨハン(アレクサンダー・フェーリング)らは、さまざまな圧力を受けながらも、アウシュビッツで起きたことを暴いていく。(シネマトゥデイより引用)

1963年に西ドイツ・フランクフルトで行われたアウシュビッツ裁判の立役者となった検事たちを描いた作品。

アイヒマン、メンゲレなどの「大者」ではなく「小者」の戦争責任を追及するという難しさ。黒歴史に蓋をしたい敗戦国の傷を掘り起こす。

「アイヒマン・ショー」が1961年。そこでもホロコーストを知らない人々が描かれたが、これも1963年。こんな近代まで蓋をされていた歴史だったのだという事には改めて驚いた。
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「20歳代の人間はアウシュビッツを知らない」という状況のドイツ。
信じられないとも思うけれども、戦争に関わった証言者が生存しているからこそ蓋をしてきたのだということは何となく理解できる。

国民のほとんどがナチに関わって生きてきた。信じていたし、絶対権力に反論などするはずもなかった。

ただ従っただけ。顔のないヒトラーたち…すなわち、アイヒマンたちの群れが生き残る社会。

そんな中で、主人公・ヨハンは無邪気にも真実を追求しようと張り切り始める。周りの目は冷ややかで協力者も少ない。

誇りに思いたい自分の親の代まで犯罪者になるのだから、みんな関わりたくないのは当然だ。
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戦争の責任とはどこまであるものなのか、恐怖政治下で命令に従う事は罪なのか、「正しい事」は全て正義なのか、様々な疑問。

「私は貝になりたい」や「愛を読むひと」を思い起こさせられた。

体験談は映像ではなく語りで聞かせる演出なので残酷な描写を見たくない人でも見やすいと思われる。

主人公がホロコーストについてまるで無知であり、調査する中で真実に触れていくという描き方なので、想定外に初心者向けの手引書のようになっていた。

演出的には少しメロドラマっぽいところもあるけれども見応えはあった。ホロコーストを学ぶ上ではお薦めの1本。

 

ここから下ネタバレ観てない方は観てから読んでね 

    


 

ドイツ国内で彼を有罪に出来れば語り継がれる偉業になる。
元ナチス親衛隊だった人間は「教師」という職には就けないはずなのに、教師をしている男を見つけた。記録を調べて免職にしなければ。切っ掛けはそんな事だった。

1958年、フランクフルト。

交通違反ばかりを担当させられている新人検事がアウシュビッツの真実に挑む。

挑めるわけがない。無知すぎて。

戦後10年以上も経っているはずのこの時点で、ドイツ国内ではナチスが何をしてきたかという教育がまるで為されてなかった。若者層は、検事でさえ知らない黒歴史。

アウシュビッツの真実に初めて触れたヨハンが異常なほどの正義感に憑りつかれてしまったのも無理はない。

下っ端役人を追っているハズだったのに、いつの間にか人体実験の悪魔として有名なヨーゼフ・メンゲレを勝手に追うようになっていたり、ハーケンクロイツが描かれた石を投げ込まれたり、自分の父親もナチスSSだったと知ってヤサグれる流れなどは、いかにもドラマ的で創作エピソードなんだろうなぁ、と思うものの見応えはあった。

元ナチスと言っても、戦争が終われば普通の気のいいパン屋だったり紳士だったりするわけで、それを全て「罪人」とするのも残酷なことのような気がする。

けれども、真実に蓋をし続け誤魔化すことはあってはならない。正しく知って考える機会だけは与えられなければならない。

メンゲレやアイヒマンは権力者に守られているから一介の新人検事などに手出しができるはずもない。

我々国民は真実を知るべきだ。
嘘と沈黙はもう終わりにする。

アウシュビッツ裁判(ロベルト・ムルカ等に対する裁判)は1963年12月20日から行われ、17名が殺人ほう助などの罪で有罪判決を受けた。

しかし、「自責の念を見せる被告は居なかった」というテロップが後味悪く、観る者を突き落す。

それでも彼らは、ドイツがホロコーストを知り、国全体が過去と向き合う切っ掛けとなる道を開いた。この功績は偉大だ。

これをご覧になったら『アイヒマン・ショー』もぜひ。 

『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』なぜホロコースト映画を観るのか
「映画@見取り八段」では「『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』なぜホロコースト映画を観るのか」のレビュー・批評・あらすじ・キャストなどの情報をお届けしています。劇場上映中作品のネタバレ感想は別枠で表記。

 


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